2022/09/05 19:41

流れを止める?流す?


2022年のいまの時代。もうこうした感覚を論じる人はいなくなったのかもしれません。
水の流れを止めて撮るのか、それとも絹のように流れを連続させる表現で撮るのか。
もうどうでもいいのでしょう。
流れが止まろうが流れようが。

撮って・フィルター掛けて・秒速でSNS。
いいね!をたくさん集めて、ハイ終わり。
写真は使い捨てだから...。


そんな時代は嫌だ。と個人的に感じていたのはもう5、6年前、いえもう10年来のことです。
それ以降、少しは振り子が戻った感覚がありましたが、でも、こうした部分に関心を持つ人は皆無になったかのように見えます。

単にシャッター速度を早めれば止まる。
同じく遅くすれば流れる。
それだけのこと。
知ってるよ!で、何??

そんな声も聞こえていた数年前。
やはり、この2022年に至っても大勢に変化はなさそうです。


写真を楽しむとは「自分で描いた結果を自分の操作によって導く」という世界であることを知る人はいないのでしょうか。
使い捨てにする単なるデータ。
カメラは、その使い捨てデータを生成する機械。

残念な感覚ですが、これが現実なのかもしれません。
まるでトイレットペーパーのように。


写真には「撮影者の心」と「撮影時点の空気感」が内包されています。
それぞれの被写体を丁寧に見てゆきますと、それぞれの要素が雄弁に語り始めるのです。
そんな体験。
撮る人と見る人との共同作業。まさに共同創造なのです。


使い捨てにしない、心のふれあいを大切にしたい。
そのように思っています。
今日はかなり重い空気感を満たしてしまいましたが、楽しむという世界をもっと知っていただければ。
そのように考えています。

最後までお読みいただきありがとうございました。