2022/09/09 20:03
光を撮るのは楽しい。
またまた今日も不思議なタイトル...と思われたかもしれません。
この場では、オフィシャルの記事とはまた別のテイストで綴ることができれば、と思っています。
光を撮る。
それは、単に物理的に「光」を撮る、「光線」を撮る、といった感覚ももちろんですが、ここしばらく触れています心に通じるものがあるように感じています。
光線といった物理的な現象を撮るのは、そのようなシチュエーション(位置関係)を作り出せば、ある程度自由に手に入れることができると考えています。
実際、こうしたイメージが欲しい。
と考えれば、その位置関係によって結果を得ることが可能です。
言い方を変えれば、
レンズと太陽の位置関係さえ判れば、誰でもいつでも手に入るものです。
夢を壊すつもりはありませんが、よく、神が写った!だとか、龍神様が現れた!と、大騒ぎする事例を見かけます。
レンズの特性を知って、太陽との位置関係が判れば、それが物理的に発生しているのか、それとも本当に神々しい現象が記録されたのかは、ある程度までは見極めが可能だと感じます。
ここまで書いた上で、わたし自身が考える部分に触れてゆきます。
この世には、物理現象で片付けられない「何か」があることは、以前からわたし自身が声を大にしてお伝えしてきました。
そして、
それを「何かわからないけれども、何か感じるもの。」として認識しています。
初めに、物理現象なんだからいつでも位置関係で作り出せるし、大騒ぎしたってホンモノかどうかある程度わかるよ。
と、言った人間が、手のひらを返して「目にみえないものもあるんだよ」と書いているのですから、いったいどうなってんの?と、感じていらっしゃることと思います。
ええ、ここ、とても大切なところです。
物理現象だ!と切って捨てるニセモノは切り捨てる。
でも、そうでないものもありますよ。ということです。
そして、後で続けますが、さらにそれを超えたところがもっと重要なのです。
どうやってそれを見極めるのか?というお声には、もう、ある程度わたしの文章に親しんでこられた方々には予想がつくはずです。
はい、
それは「直感」や「勘」が指し示してくれます。
そして、自分がそのように感じればそのように現実になります。
ですから、
ニセモノだと思えばニセモノで確定しますし、ホンモノだと思えばホンモノになります。
こら〜、答えになってないぞ!というお声も聞こえます。
ですが、それこそが答えなのです。
ここまで読み進めていただいて、あぁ、くだらない話で時間を無駄にした!
と思えば、そう思った方ご自身がその現実を作りだしています。
ですが、あと少しお付き合いください。
「光を撮る」というアクションそのものは、
物理現象という位置関係で作り出したものであっても、撮影なさる方ご自身が「こんなに素晴らしい光が撮れたぞ!」と感激すればその感動が写真の中に織り込まれます。エネルギーが内包されるのです。
数日前のフォトコンテストのお話の部分でも触れました。
それは共同創造という内容だったと思いますが、撮影者と鑑賞者の共同創造のみならず、「撮影者と被写体の共同創造」という根幹のところにそのエネルギーが含まれます。
そして、その「こんなに素晴らしい光が撮れたぞ!」といった氣持ちを内包した作品そのものが、今度は鑑賞者との間で共同創造されてゆきます。
意識はエネルギーですから、そのエネルギーが伝わってゆく限り、それが現実になってゆきます。
いかがですか?
訳わからん!とおっしゃいますか?
それとも、何となく判ったような氣がするでしょうか?
凄いぞ!こんな神々しい光が撮れた!
と思うその氣持ちが、神々しい作品を創り上げてゆきます。
それは被写体と撮影者の共同創造として、そして作品と鑑賞者の共同創造として。
後でもっと大切なことを書きますので、と、上で触れていた、その最も重要な部分です。
ホンモノかニセモノか。
それは、撮影者と鑑賞者の共同創造のエネルギーとして「相違」があればニセモノになり、「合致」があればホンモノになる。
そういうエネルギー視点でのお話しだったのです。
光を撮る、光を写し込むのは楽しい!凄い!
と感じる限り、そのエネルギーは伝わり続けます。
いかがですか?
楽しんで撮影された作品は伝わるのです。苦しんで撮影された作品も伝わります。
いずれも、その心が。です。
光を撮るのは楽しい!です。
PRで失礼いたします。
大自然の強大なエネルギーを感じ取ってください。
凄い世界がここにあります。
PDFデジタル写真集をどうぞ。
ワンポイント技法を含めた「写真集であり解説書でもある」Versionはこちらで。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。